グレイトフル・デッド、歴史が詰まった写真集が発売|フォトグラファーが語る11枚|にゅーじっく

2018年01月02日

グレイトフル・デッド、歴史が詰まった写真集が発売|フォトグラファーが語る11枚

1: 名無しさん 2018年01月02日 11:00:00 ID:0.net

グレイトフル・デッド、歴史が詰まった写真集が発売|フォトグラファーが語る11枚
(全13枚)

写真集『アイズ・オブ・ザ・ワールド』には、1965年〜95年のバンド活動を辿る豊富なポートレートやスナップショット、ライヴショットが収められている。

デビューから30年間、グレイトフル・デッドは西海岸のバー・バンドから、アメリカのカルチャーに大きな影響を与え、最も愛されたバンドへと成長した。バンドは数多くの音楽作品と共に、著名なロック・フォトグラファーたちの手による貴重な写真も残している。写真集『アイズ・オブ・ザ・ワールド:グレイトフル・デッド写真集1965〜1995』には、アニー・リーボヴィッツ、マーク・セリガー、同写真集の共編者でもあるジェイ・ブレークスバーグら60人以上のフォトグラファーによる200枚を超える作品が収録されている。


グレイトフル・デッド、歴史が詰まった写真集が発売|フォトグラファーが語る11枚


以下に、同写真集からピックアップした11枚を、フォトグラファー本人のコメント付きで紹介する。そのうち何枚かは、ローリングストーン誌用に撮影されたものだ。各コメントは、米レリック誌の元編集長で同写真集の編集にも関わったジョシュ・バロンが各フォトグラファーへインタヴューしたものである。写真集『アイズ・オブ・ザ・ワールド』は、オンラインなどで購入できる。

ザ・ワーロックス「立入禁止」(撮影:ハーブ・グリーン1965年)

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©HerbGreene

「これは俺が撮った最初のポートレートだ。彼らはまるで群れで移動する動物のようだった」と、ハーブ・グリーンは振り返る。バンドのメンバーは、ピッグペンを先頭にグリーンの住むアパートメントの階段を駆け上がってきたという。「大げさな話でなく、本当に建物が壊れるんじゃないかと思ったよ。宝の箱が城門を破ってなだれ込んできたような感じかな。それくらいの凄いインパクトがあった」

ロバート・ハンター&ジェリー・ガルシア(撮影:ジェイ・ブレークスバーグ1991年)

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©JayBlakesberg

「ザ・ゴールデン・ロード誌向けインタヴュー用に、”ジェリー・ガルシアとロバート・ハンターのツーショットを撮ってくれないか”とブレア・ジャクソンから電話をもらった時は、天にも昇る心地だった」と、ジェイ・ブレークスバーグは言う。バンドのステージ・ショットやボブ・ウェアのポートレートは撮影したことがあったが、ジェリー・ガルシアの公式ポートレートは初めてだった。

「バンドのオフィスで案内された部屋は、ライトスタンドと照明用アンブレラ1組を設置すると、俺の居場所はデスクの上しかないという狭さだった。2台のハッセルブラッド製35mmカメラにカラー用とモノクロ用のフィルムをそれぞれセットし、撮影に備えた。俺にとって記念すべきポートレート撮影用に、15〜20分のセッションに使用可能な量のフィルムを用意していた」

ハンターとガルシアが座り、わずか数枚撮影したところで広報担当者が終わりを告げた。「俺は少々むっとしたけれど、受け入れるしかなかった」

彼はツーショットに続き、メンバーそれぞれのポートレート撮影を数分でこなした。

「25年以上経った今振り返ってみると、ガルシアとハンターの2ショットは珍しい。それだけにこの時撮影した写真は貴重なものといえる。特にガルシアのポートレートは、俺の代表作のひとつだ」

ボブ・ディランとデッド(撮影:ブレークスバーグ1987年)

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©JayBlakesberg

「この時俺はまだバンドの単なる1ファンで、特別な場所へアクセスできる入場許可証なども持っていなかった」と、バンドを象徴する1987年のツアーの模様を撮影したブレークスバーグは振り返る。「早い時間に会場入りし、ステージがよく見える場所を確保した。フィルムを10ロールぐらい使ったが、その中には自分でも満足の行くショットが何枚か撮れた。特にこの写真はお気に入りだ。ボブ・ウェアは80年代後半に彼のトレードマークともなっていたデイジーデュークを履き、写っている彼らのプレイする姿からは何か素晴らしいエネルギーを感じる」

ジェリー・ガルシア(撮影:ラス・デュゴニ1974年)

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©RussDugoni

「これがラスト・ライヴになるんじゃないかって噂もあった」とラス・デュゴニは言う。デュゴニは、1974年秋にウィンターランド・アリーナで行われた連夜のライヴの内2公演を撮影している。「このショットは、ジェリーが『ダーク・スター』か『モーニング・デュー』の甘いソロを奏でている姿を、ステージに肘をついて撮影したものだ。フィルムの最後の1枚だったよ」

フィル・レッシュ(撮影:デイビッド・ガンス1984年)

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©DavidGans

「グリーク・シアターはコンサートに適した素晴らしい会場で、バンドもこの屋外音楽堂の音響を気に入っていた」とデイビッド・ガンスは証言する。フォトグラファーであり作家でもある彼は、ラジオの長寿番組『ザ・グレイトフル・デッド・アワー』のホストを毎週務めている。「客席の高い場所からは、ステージの向こうにゴールデン・ゲートが見えた。マディソン・スクエア・ガーデンのように熱狂的なオーディエンスが詰めかける会場に慣れた東海岸の人たちからすると、”西海岸の人間は、何とのんびりとコンサートを見ているんだろう”と驚いたろうね」

「バンドの1ファンだった俺は、後にジャーナリストになった」と語るガンスが最初に見たライヴは、1972年3月のウィンターランドだった。「グレイトフル・デッドをテーマによく記事を書いていて、やがてバンドのメンバーたちとも親しく付き合うようになった。最も親密にしていた時期には、ライヴ会場やプライベートな場所にも出入りしていた。もちろん、カメラを持ち込んでよい場所、悪い場所はわきまえていたよ」

「まだ付き合いの浅かった頃のフィル・レッシュとのインタヴュー中、彼が”お前の宿題用には、もうこの位で十分だろう”と言って話を打ち切ったんだ。”ガンスというジャーナリストは、バンドの音楽を前面に出し、俺たちの現在の活動をちゃんと説明してくれる奴だ”ってことで俺を信頼してくれたんだな、と理解したよ」

ザ・グレイトフル・デッド(撮影:ロージー・マギー1969年)

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©RosieMcGee

「あっという間の出来事だったわ」と、1969年にバンドを撮影したロージー・マギーは思い返した。その年の9月、ワーナー・ブラザースはアルバム『ライヴ/デッド』のリリースを計画していた。音源は、同年前半にフィルモア・ウエストで行われた2公演から選りすぐられた。リリース間際になってレーベルから、「アルバム見開き用のバンド写真が至急必要」とバンドのオフィスに連絡があった。

「ボーイフレンドと一緒にマリファナを吸ったりデートしていた私は、その時バンドのリハーサルを観ていたわ」とマギーは笑いながら語る。当時彼女は、フィル・レッシュと数年間付き合っていた。「私がカメラを持ってその場にいて、ワーナー・ブラザースはラッキーだったわよ」

彼女はすぐさま外へ出て光の状態をチェックし、撮影に適した場所を選んだ。壊れて放置された自動車があり、それが彼女の目に留まった。既に日が傾きかけていたため、彼女は急いで戻り、バンドのリハーサルを中断させた。

「各メンバーを所定の位置に着かせた時、リハーサルに参加していたジャック・キャサディ(ジェファーソン・エアプレインのベーシスト)が泥の中に顔を突っ込んで倒れ込み、最初の何枚かに写り込んできたの。私は彼をどけて仕切り直し、”真剣に”数枚撮ったわ。その中の1枚がこの写真よ」

ワーナー・ブラザースは結局、キャサディが入った写真を選択し、モノクロにしてアルバムに使用した。さらにアルバムの公式な宣伝用写真にも採用された。上の写真は、この時撮影された中からのアウトテイクで、アルバム・ジャケットのフロントとバックに使われたボブ・トーマスが描いた絵画のオリジナルも写っている。トーマスは当時、バンドのオフィスのロフトに寝泊まりし、その代わりオフィスの夜間警備をしていた。

「あの頃の私はただのカメラ好きの女の子だった」とマギーは、バンドとつるんでいた若き日々を振り返る。「当時の私の写真を見た人たちは、”親しみが感じられ、飾らない自然体がいい”って言ってくれるの」

「ドラマーに注目」(撮影:ピーター・サイモン1977年)

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©PeterSimon

1977年春、ピーター・サイモンはローリングストーン誌から電話を受け、次号の記事向けのフォトグラファーとしてバンドから指名されたことを知った。「ジェリー・ガルシアは特に、被写体に意識させない俺の盗み撮りスタイルを気に入ってくれていた。だから俺をどこへでも同行させてくれた。ツアー・マネージャーのスティーブ・パリッシュは、バンドの裏側にまで俺が入り込むことを不安に思っていたようだけどね」

サイモンは撮影のため、同年5月4日のニューヨークでのライヴから、7日のボストンまでの短期間、バンドに同行することになった。

「ジェリーが俺を好きだったのは、それまで付き合った中で最も”左寄り”のフォトグラファーだからという理由らしいんだ。”それはどういう意味?俺の政治思想が左派だってこと?”と聞くと彼は、”そうじゃない。お前の物ごとに対するアプローチの仕方さ。すごくリラックスして、他人にあれこれ命令せず、その場に溶け込んでいる。正にラブ・アンド・ピースの精神で、俺たちが普通はやりたくないって思っていることを敢えてやれ、ともリクエストしない”って言われたんだ」

その時のローリングストーン誌の記事は実現しなかったが、サイモンの撮影した写真は、その後何年にも渡ってファンの間で出回った。その内の多くは、ボックス・セット『May1977:GetShowntheLight』で見ることができる。

「その時俺は、このツアーがバンドの歴史上最も素晴らしいものになろうとは思いもしなかった」とサイモンは振り返る。「とにかく楽しい仕事で、バンドに同行するというデッドヘッドにとっての真の夢が叶ったんだ」

ウォール・オブ・サウンド(撮影:ジェームズ・リー・カッツ1974年)

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©JamesLeeKatz

30年以上に渡り、ジェームズ・リー・カッツの撮影したライヴ写真は箱の中にしまわれたままだった。90年代の終わりになるまでカッツは、それらの写真が日の目を見ることになるとは思っていなかった。

「音楽系のダウンロードサイト、特にグレイトフル・デッド関連のサイトで、ファンたちが写真を公開したり、あのライヴがどうだったとかサイト上で議論しているのを見かけたんだ」と、現在はボルチモアで弁護士をしているカッツは思い返す。「僕はちょうど、話題に上がっていたライヴの写真を持っていたんで、箱の中から引っ張り出してスキャンし、あちらこちらのサイトへ少しずつアップしたんだ。それが積もり積もって相当な量になっていた」

カッツが初めてグレイトフル・デッドを観たのは、1973年6月のオールマン・ブラザーズ・バンドとのジョイント・ライヴだった。そのライヴは、それ以後バンドを象徴する”ウォール・オブ・サウンド”PAシステムを初めて体験した時でもある。

「屋外で初めてウォール・オブ・サウンドを体験したのは、デモインでのライヴだった。そのPAシステムは巨大でヴィジュアル的にインパクトの大きいというだけでなく、サウンドのクオリティがまた素晴らしいものだった。楽器同士の独立性が高く、各楽器のサウンドをはっきりと聴き分けることができた。楽曲がクリーンで新鮮に聴こえた」(このライヴの大部分は、公式ライヴ・アルバム『RoadTripsVolume2,Number3』で聴くことができる)

カッツは、その年の秋に開催されたそのほかのライヴでも撮影したが、デモインでのショットが際立っていた。「屋外の日光の下で撮影する方が、いい写真になりやすいんだ」

カッツは1ファンとして、ほかのファンらと写真を共有することをただ楽しんでいた。「僕はカメラを持ったデッドヘッドのひとりなんだ」

ボブ・ウェア「トリック・オア・フリーク」(撮影:ジム・マーシャル1967年)

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©JimMarshallPhotographyLLC

有名ロック・フォトグラファーのジム・マーシャルによるデッドの未公開写真も、同写真集に登場する。その内の1枚は、2014年にジェイ・ブレークスバーグが、ジム・マーシャル・エステートとマーシャルの写真を精査中に発見した。その写真は、”ジャニス・ジョプリン”と書かれた校正刷りの中に紛れていた。

「エステートは『TheHaight:Love,RockandRevolution』と題した本の出版準備をしていた。我々は初版向けに、1965〜1968年の校正刷り約3,000枚を検証していた」とブレークスバーグは言う。「校正刷りの中にはグレイトフル・デッドについての記録がまったく無かったため、『トリップ・オア・フリーク』コンサートでフェイスペイントをしたボブ・ウェアが写っている5枚の写真は、50年近く眠ったままだった」

フィル・レッシュ(撮影:バロン・ウォルマン1969年)

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©BaronWolman

1969年、ローリングストーン誌のカヴァーストーリーにグレイトフル・デッドが初めて登場した。「ヤン・ウェナーに”どんな写真が撮りたい?”と聞かれたんだ」と、当時ローリングストーン誌のチーフ・フォトグラファーだったバロン・ウォルマンは思い起こす。「自分にとってのフォトグラファーのヒーローはアーヴィング・ペンやリチャード・アヴェドンで、彼らの代表的なポートレート作品は、最小限の照明を使ったシームレスな背景のものだった。だから僕もバンドの各メンバーのポートレートを、グレーのシームレスな背景にして、さらにグループ写真を取ろうかと考えていたんだ」

ところが撮影当日、ベーシストのフィル・レッシュは調子が悪く姿を現さず、グループ写真が撮影できないという困った状況に陥った。しかしこの時の撮影で、ウォルマンによるジェリー・ガルシアの有名な写真が生まれた。その写真でガルシアは初めて、幼い頃に切断した右手の中指を公開したのだ(このショットも写真集に収録)。数日後、ウォルマンは任務を完了させるため、マリン郡フェアファクスにあるレッシュの自宅へと車を走らせた。

「スタジオ環境を再現することは不可能だったけれど、ワイドアングル・レンズを使って面白いポートレートを撮影したんだ。ほかのポートレートとは違ったとてもユニークな写真で、自分にとって完璧な仕事とは思えなかったから、今回の写真集の話があるまで未公開だった」

レッシュが最近この写真を初めて目にした時、彼はニヤリとして「ああ、レディ・キロワットだ」と言った。レディ・キロワットは当時の彼のニックネームだった。

ジェリー・ガルシア(撮影:マイケル・オニール1987年)

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©MichaelONeill

1987年7月発行のローリングストーン504号の表紙は、ロゴにバラの棘をあしらい、「グレイトフル・デッドの新たな夜明け」とのヘッドラインが踊った。その年の夏に行われた6日間のボブ・ディランとグレイトフル・デッドのスタジアム・ツアーに合わせ、折り込みカバーの写真をマイケル・オニールが担当した。

オニールは、カリフォルニア州サン・ラファエルのフロント・ストリートにあるバンドのオフィスへ、準備のため派遣された。フォトエディターのローリー・クラトフヴィルは、グループ写真のほか、各メンバーのポートレートもリクエストした。

「皆、ディランも来るものだと思っていた」とオニールは振り返る。「ディランとバンドのポートレートになるはずだった。しかしディランは現れなかった」

グループ写真の撮影に続き、オニールはメンバーそれぞれのポートレートを撮影した。「このポートレート(上)の気に入っている点は、ジェリーがジェリーらしく写っているということ。このジェリーは、僕と一緒に吸うためにマリファナに火を点けているようにはとても見えない。ここには自然体の彼がいる。彼は、ジョーク好きや悪戯っ子やハッピーな奴を演じようとはしなかった。彼は深く思いふけり、マリファナはそのトリップのお供に過ぎない。その目には”いったいどうしたんだい?”とでも言いたげな好奇心が浮かんでいる」

この写真は、オニールが撮影したグレイトフル・デッド写真のベストセラーとなった。今回の写真集の検討用にオニールは、40ページ近いコンタクトシート(写真一覧)を編集担当のジョシュ・バロンに提出した。今回採用された8枚の内のほとんどは、これまで未公開のものである。
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